「新作が完成したからぜひ来るように」という西山監督のお誘いで、ゆふいん文化・記録映画祭に行くことにした。5月末のことだ。
タイトル「メヒャンニ....」は、何度か聞いたがなかなか覚えられない。しかも韓国にも沖縄にすらまだ行ったことのないこの自分が、その映画の上映のお手伝いをお引き受けするなんてどう考えても無理があるのではないか‥‥と、基地・軍事問題に不勉強な私は、やや消極的な思いを抱きながら湯布院に向かった。
しかしその杞憂は、映画を観てみごとに吹っ飛んだ。
遙か東京から出掛けて来てこの作品に出会えたことを心から嬉しいと思った。
映画「梅香里」の映像は、これでもかと思うほど丁寧に豊かな干潟をとらえ、そこに生きる人々の暮らしを連綿と写し出していた。
すると、漁民のみごとな手さばきで殻をこじ開けられるおいしそうなカキのように、私の閉じた心も次第に開かれていった。
もしそこが射爆場でなかったら、梅香里はのどかな海辺の漁村だったろう。沖縄と重なる。
しかし現実は違うのだった。そこには、先祖代々受け継いだその土地で、負わなくともよい痛みを負いながら、厳しい状況を生き抜いている人々の現実が横たわっているのだった。
漁師のひとりである 全
晩奎(チョン マンギュ)さんが、やむにやまれず米軍への抗議活動を始めたのは、豊かな漁場を息子の世代に引き継ぎたいという想いからだったという。そして、はじめは自分たちの生存権を取り戻すために始めた闘いの本質が、民族の主権と人類の安全を問う闘争であるとやがて全さんは気づくと、その闘う日々は13年に及んでゆくのである。その語り口は穏やかで、しかしどんな弾圧にも屈せず、闘うことを続けてきた全さんの想いの底力に強い“愛”を感じるのは私だけではないだろう。
全 晩奎さん夫妻
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住民対策委員会本部の壁
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また一方で、基地村で起こる米兵による犯罪の根絶を訴え、その被害者や基地村の女性を支援する鄭 柚鎮(チョン ユジン)さんという女性もこの映画の重要な登場人物だ。
駐韓米軍犯罪根絶運動本部での活動を通して「人の苦痛を理解できるようになったことに感謝している」という鄭 柚鎮さんの言葉とその感性のしなやかさは私を大きく揺さぶった。「苦痛が人間の可能性、幸福をどれほどまでに奪うものか‥‥‥そして、人間に苦痛を与える暴力の問題について認識を深めた」という彼女の言葉に、私は自分がいま取り組むべき大きな課題を見つけた。
映画「梅香里」にはこうして随所に“愛”が散りばめられている。軽々しく愛という言葉を使うつもりはないが、この映画をみていると、生命の尊厳を通して人と人の想いが結びついてゆく様をそう語る以外術がない。だから「命どぅ宝」の精神を知った韓国と日出生台(湯布院)と沖縄の人々が、ごく自然とやわらかく繋がって(連帯して)いったことはこの映画を通じてとても素直に理解できるのだ。
実際に“痛み”を受けなければ立ち上がろうとはしない自分を重ね合わせながら、そして、基地・軍事の問題の本質が、人に苦痛を与える“暴力”の根元を問うことであることをきちんと理解できた喜びが、映画を通して私のなかにとても優しく染み通っていった。
映画「梅香里」は、本当の平和を願う人々の心を支える大きな力になる作品だと思う。21世紀は平和の世紀に!と願うすべての人々にこの映画を届けたいと思う。
ちょうど「水からの速達」(1993年〜1997年)の上映運動が終了するあたりからだろうか、ドキュメンタリー映画といえば16mmフィルムで作られ、上映会といえばフィルムで映写するのがあたりまえであった時代から、私たち記録映画制作者の仕事は少しずつ変わり始めた。メディアがフィルムからビデオやデジタルに変わりつつある時代を反映してのことだろう。
しかし、大事なことはあいかわらず、制作段階でのメディアの選択云々より、完成した作品の上映をどうするのか‥‥だろうと私は考えている。映画の大きな役割のひとつに、人と人を結びつけることがある。その役割をきっちり果たしてこそ、作品は命をもって世に広まってゆくのではないか。
この映画「梅香里」はビデオで制作されている。そして上映もビデオプロジェクターを利用することになる。だからといってこの作品を上映する意義はいままでフィルムで行ってきた仕事の意義となんら変わることはない。そしてこの映画「梅香里」が、基地・軍事・沖縄問題などに詳しい人々に広まってゆく日はおそらく近いだろう。しかし私の呼びかけはそこにとどまらない。子どもの教育問題、いじめの問題、教科書問題、靖国参拝問題に然り、老人福祉、障害者福祉の問題にもつながり、そして広く環境問題を問うことにもつながっているのが、映画「梅香里」に描かれているテーマの底深さだからだ。
私は可能な限り、さまざまな問題を語り合っている全国の人々がこの映画によって大きな輪を描いて手を繋いでくださるることを願ってこの映画の全国上映呼びかけに取り組もうと思う。
そして、本当の平和の世紀をつくりだすための一歩をまた共に歩み進めるためのお手伝いが映画人としてできたらと願うのである。
貞末麻哉子