“不思議な映画と音楽だ”‥‥今はなき井の頭の「ギャルリ・ウィ」で「伝承」に会ったとき、そう感じた。少なくとも私の人生にとっては、特別な映画となり、音楽となった。
以後、周囲に、奇妙に色々なことが起き始めた。
僧服を脱げば人間嫌いの私が、半年後には自分の寺に友人知人を集め、「伝承」を上映していた。
さらに半年後父が急死。多くの友人と疎遠になっても、「伝承」の上映会と山中氏のコンサートには足が向いた。
渡辺氏は、暴走族のアタマだったという。山中氏は「不良のチンピラだった」と自称する。
が、「伝承」の映像と音楽は、猛烈に真面目で一生懸命だ。
深淵からの声に、必死で耳を傾け、それを形に、音にしよう、と、ムキの‥‥もう、命がけ、と言わんばかりにムキになって取り組んでいる。坊主の類にありがちな、恩着せがましい説教臭さは無い。そんなポーズで飾る必要もないのだろう。
深い作品というものは、理性の小細工から生まれるものではなく、その彼方から、作者を通じて流れきたるものだとすれば、媒体とされる人間は、危険な目にも遭いかねない。
山中氏は時折、幽体離脱の体験をされると言うが、渡辺氏の後を追われては困る。
息の長い活動をして欲しい。
1998年3月29日は、ほびっと村にて33度目のライブと聞く。きっとまた「不思議な」音楽が味わえるだろう。渡辺氏も聴きにくるだろう。深いところから響いてくるような音を、多くの見えるもの見えないもの達とも分かち合いたい、と思う。