■解説
「あーす」映画化決定までの経緯
この映画「あーす」は、母親たちから公募した原案をもとに、“子ども達に心豊かな作品を提供したい”という願いをこめて映画の製作に乗り出した、大阪・十三の映画館サンポード・アップルシアターの創立80周年を記念して企画された。
1990年春、一般公募された72編の作品の中から映画化されることに決まったのは、大阪市内に住む小学校教師・西田好子さんの作品「ぼくはちいさなごみ屋さん」だった。
原作は4歳の頃からパッカー車(ごみ収集車)に興味をもち、そのあとを追いかけるようになった西田さんの次男・順平君を主人公にした心温まる物語で、素直な子供の心、それを見つめる親子関係、そして周囲の職業への差別や偏見など、私たちを取り巻く身近なテーマと問題が数多く盛り込まれていた。
意欲に満ちてこの作品の脚本・監督を引き受けたのは、大阪在住の新鋭監督、金秀吉(キムスギル)だった。1985年に「君は裸足の神を見たか」(ATG作品=おおさか映画祭新人監督賞受賞)で鮮烈なデビューを遂げた彼は、24歳にして現代の青春像をさわやかに描き注目を集めた。又、1989年にカンヌ映画祭の批評家週間でも上映され多くの支持を得た「潤(ユン)の街」(金祐宣(キムウソン)監督作品・株式会社仕事製作)の脚本家としても金秀吉の名前は知られており、在日韓国・朝鮮人の若者たちの青春を描いたこの「潤の街」の脚本は、1981年に金秀吉が現在の日本映画学校在学中に城戸賞を受賞した作品である。
そして、サンポード株式会社とモランボン株式会社の製作協力を得て映画化が確定した「あーす」の脚本は、1990年6月、監督自らの手によって脱稿した。
本物のごみと出会ってクランクイン
いよいよ具体的な製作準備のために、東京から貞末麻哉子が駆けつけて「あーす製作委員会」が設立されると、関西一円に呼びかけたオーディションによって約200名の子ども達が選ばれた。
夏休みを返上して「あーす」に出演することを決心してくれたこの小学生たちは、すべて映画初出演。淀川の河口近くにあった相撲部屋(大阪場所の際に力士さんが使用する宿舎)をスタッフの合宿所として借りることができると、7月中旬、監督と主演の子ども達数人の準備合宿が行われた。
助監督をはじめ制作部のスタッフも続々と上阪し、実際に清掃業務にたずさわる方たちをはじ、多くの人々の温かい支援によって「あーす」の制作準備は着々と進行していった。
撮影に使われたごみは大阪府内数カ所の清掃センターに提供していただいた本物のごみだった。ごみを集めながら、深刻なごみ処理の実状を知ってスタッフがさらに驚愕したのはもちろんのこと、粗大ごみの中には充分に使用できる冷蔵庫や扇風機、掃除機、洗濯機、テーブル、電気スタンドなどがたくさんあった。スタッフの合宿所の生活用品のほとんどは、このごみを再利用させてもらい、8月6日、連日36度を超える猛暑の大阪を舞台に「あーす」はクランクインした。
大人たちでさえ倒れてしまいそうな酷暑のなかで、子ども達のがんばりには涙ぐましいものがあった。撮影中スタッフは幾度も子ども達のがんばりに励まされた。
スタッフの最年長者は録音技師の松本隆司(寅さんシリーズを数十年にわたって手がけてきた大ベテラン)。また、ベテランカメラマンの金徳哲(代表作に「潤の街」)をはじめ、多くの在日韓国・朝鮮人スタッフの尽力があったのも、「あーす」のスタッフ構成の特徴といえる。
数々の廃品をリサイクルした宿舎で、炊事担当スタッフの温かい手料理による合宿生活をした二ヶ月間、5000万円という低予算に苦しみ喘ぎながらも、逆に多くのことを学びながら9月23日、「あーす」は無事クランクアップした。
■「あーす」ストーリー
小学校三年生の主人公・良平(坂口昌裕)の母(朝比奈潔子)は、離婚をして、畳屋を営む実家に戻り、パート勤めをしながら良平と兄の洋平(本多陽一)を育てていた。早朝マラソンで身体を鍛えるのが母子三人の日課。ところがある夏の日、良平はマラソンの途中でパッカー車(ごみ収集車)に出会った。
幼い頃、誰の胸にも一度は訪れるあこがれ‥‥‥それがたまたま新幹線やジェット機ではなくて、良平にとってはパッカー車だったのだ。
あこがれは日々胸にふくらみ、ついに良平はパッカー車の後を追うようになった。はじめは「危ないからアカン」と追い返されていた良平も、やがて作業員の翔一(趙 方豪)や運転手の源サン(芦屋小雁)と親しくなって、ごみの収集作業を手伝うようになる。
しかし、そんな光景を町で見かけた兄・洋平の級友が、「お前の弟はごみ平や」と洋平をからかい始めた。洋平は「お前は臭いんじゃ」と憤懣をぶつけて、良平と一緒にお風呂に入るのもいやがり、その話しを聞いた祖父(山村弘三)さえも「二度とごみに近づくな」と激怒する。しかし、「ごみ集めは大きくなってからやったらいいんや」という洋平の意見にも、「今やりたいから今やるねん」と良平の意思は固い。
今は別の女性と再婚した二人の父(篠田三郎)とその夏、親子四人が久々に再会する機会があったが、父はそんな良平の純粋な意思に理解を示した。また母も、それまで気にもとめてみなかった駅のトイレの清掃するおばさん(河東けい)に良平のことで相談にのってもらった。戦争で子供を亡くしたというその婦人は、職業への誇りに満ちた美しい笑顔で「あんたの息子さんはきっといい嫁をもらう」と彼女を励ますのだった。
良平の周囲の人々が、少しづつ変わり始めていた。
ある日、はじめてパッカー車の乗せてもらった良平は、たくさんのごみ集積所で“ごみ”を見る。まだ動いている時計、死んで投げ捨てられた小鳥、ごみ袋を突き破っているかみそりの刃、そしてまだ食べられる真っ赤なリンゴ‥‥‥。良平が見たものは、ただの“ごみ”ではなく、たくさんの“人間の心”だった。
そんなある日、ごみの中に入っていた消化器が爆発して、作業中の翔一が大怪我をしてしまう。それでも出掛けようとする良平を阻止して、祖父が「危険だということがまだわからんのか」と彼の頬を叩く一幕もあったが、祖母(新屋英子)は、「良平の考えがあるんだから‥‥‥」と彼をかばってくれる。
翔一を病院に見舞った良平は「あの事故の時、良平が手伝ってなかっただけでも神様を信じたい気持や‥‥‥」と呟く翔一のくやし涙を見る。
‥‥‥なんでひとの気持のわからんひとが、こんなに多いんや‥‥‥
いよいよ良平の怒りが爆発して、彼のたったひとりぼっちの闘いが始まった。
■ 原石の隠された輝き
脚本・監督 金 秀吉
「あーす」を撮ってる最中ずっと心の中に抱いていたイメージがあった。右手に黒いごみ袋、左手に青いごみ袋を持ち上げている主人公・良平。その黒い方にはごみが、そして青い方の袋の中には地球が入っている。その両手の二つの袋を、歯を食いしばり地球をこの地球のまま、なんとか持ち上げようとする少年のひたむきな思い。そしてそのまなざし。この少年の思いはもちろん言葉で語り切れるものではないだろう。
でも、映画でなら‥‥‥。純粋にひたむきなその行為を、その行為のままに映像で映しだすことができるのではないか。あとは観ていただける方々が、十人十色、まじりけのないそれぞれの原色の心で、この少年の思いに、あるいはこの映画全体にとっておきの色を塗りかさねてくださるだろう。そんな直観から、僕と「あーす」との<対話>が始まった。
子どもたちに多くのことを教わった。撮り終えてまず、そう思った。子どもたちの可能性の限りなさを知った。僕自身の二十代の終わりに、忘れかけていたひたむきであり、ときめきであり、純粋である子ども心をよみがえらせることができた。その何物にも変えがたい、原石の隠された輝きの素晴らしさを発見することができた喜びと感謝の思いで胸がいっぱい!