パンフレットより

■不機嫌な少女 ‥‥‥ 詩人 谷川俊太郎

 主人公の女の子、かがりがさ、ガラスふきの青年にお金返そうとして貯金箱割るでしょ、そうすると、百円玉や十円玉の中にドル紙幣がまじってるのよかったね。母親が彼女をおいて海外旅行にいっちゃったんだってことがパッとわかっちゃう。その母親がさ、男の運転する外車に乗って家へ帰ってくるでしょ、当然なんかあるんじゃないかってかんぐるんだけど、なんにもなくてあっさりお礼言って別れるとこ、よかったね。なんにもないってことがちゃんと表現になってる。いまの映画ってなんかなきゃドラマにならないって思いすぎてるんじゃないかしら。
 かがりが死んだ文鳥を弁当箱に入れるよね、こっちは普通の弁当箱だって思うじゃない、ところがそれを母親がすぐ冷蔵庫の中で発見するんだよね、なんか不自然だなって感じてると、実はその弁当箱は母親の子どものころのただひとつの記念品なんだよね、名前が書いてあったりしてさ、あそこもよかった。そのあとヒステリックになってシャワー浴びてる母親に、かがりがくってかかるところもよかった。素裸になると役者も演技の質が少し変わるみたい。そういえば、お風呂の中の佐々木すみ江もよかったよ。なんにも思わせぶりなところのない、正直で日常的な裸には映画の中ではめったにお目にかかれない。
 木内みどりでもうひとつよかったのは、女友達がたずねてきてビール飲んで、子ども生もうかどうしようかってクダ巻くじゃない、そのあと木内みどりが粘着テープでじゅうたんのゴミをとるのね、あれは演技っていうより演出なんだろうけど、あそこにも感心しました。母親を神経症的にえがいてるんだけど、それを病気とはとらえてない、だからひとりの女がちゃんと見える。
 大体あんなきれいきれいなグッドデザインのマンションに住んでる母子家庭ってのにも、びっくりするよね。普通ならうそっぽく見えるとこなんだけど、それが逆にひどく現実的に見える。いまの東京ってこういう場所なんだなって納得させられてしまう。きれいすぎるから、かえって住んでる母親の緊張した精神状態がはっきりする、そういう計算がうまいと思った。
 離婚する以前に住んでた古ぼけた公団住宅のDKで父親と母親が言い合う回想シーンも、セリフがきれぎれにしか聞こえてこないことでかえって、現実感あがあったよね。あれ全部ていねいに聞かせてたら、セリフが月並みだからつまらないと思う。カメラが傾いたりするのも、わざとらしいなんて思わなかった。道路に描かれた五線譜を、道路掃除の車が消していくところなんかもね、高校生の芸術映画みたいだけど、かがりって主人公に存在感があるから見ていられる。
 こんなふうにいいつづけているときりがないな、でもいい映画ってどうしてもこういう話しかたになるんでしょ。つまり感想が抽象的にならないんだよね、場面場面の細部に目がいっちゃう。主題とか問題意識っていうのも大切なんだろうけど、映画ってやっぱり場面場面の積み重ねだからね、文学やる連中が一行に骨身を削るのとおんなじだと思う。現実ってのはいつも主題とか問題意識をはみ出しているものでしょ、その思いがけない現実をとらえる想像力のない映画なんて、いくら問題意識があったってまあ骨と皮みたいなもんだ。

 前半のかがりの不機嫌な顔がすばらしかったね、そうなんだよ、あれは不機嫌て言うべきなんだよ、自閉症的なんて言うとなんか違うものになっちゃって、かがりっていうひとりの少女がどっかへいっちゃうんだよ。いやあ不機嫌な少女ってのはすごいもんだな。不機嫌な中年男なんて足元にも寄れないくらい凄みがある。不機嫌な中年男の不機嫌な理由なんてたかがしれてるんだね、きっと。競馬ですっちゃったとか、部長にこごと言われたとか、通勤が疲れるとか、それはそれで大変だってことは分かるけど、少女の不機嫌はもっと根が深いような気がする。人間の範囲を超えてるような気がする。
 だから最後が下北の海で終わってもよかったんだろうと思う。あれでもういっぺん東京へ戻ってきたら連続テレビドラマになっちゃう。かがりはおだやかな海と、自然に頼って生きる人々との交流と、愛する文鳥の死を認めることによって浄化される。たとえそこにも過疎を始めとするさまざまな問題が残されているとしても、いやむしろ、「問題」がひとつも解決されてないんだからこそこの映画は終わることができるといってもいいかもしれない。
 警察だかどこだかよく分からない場所で、離婚したかがりの父母はつくねんと座ってる、その舌足らずな描きかたがとても効果的だった。大体登場人物の口数が少ないんだよね、たまにかがりが名セリフを吐いたりもするけれど、登場人物がかるがるしく事態を解説したり、主題を説明したりしないのがいい。この映画には主題や問題がいっぱい隠されているけれど、そしてそれについて語ろうとすれば言葉はいくらでも消費できるけれど、そういう語りかたで語ることはこの映画にふさわしくないと思った。