東京都西多摩郡日の出町には、ざっくりと山を削って作られた巨大なゴミ捨て場があります。
1984年からこの「谷戸沢広域最終処分場」には、三多摩地区26市1町に住む365万人から出る膨大な量の焼却灰・破砕ゴミ等が埋め立てられてきました。そして、ゴムシートで遮断されているはずのゴミ汚水侵出疑感は現実のこととなり、近隣の井戸水や河川からプラスチック添加剤・重金属など、自然界には存在しない人工化学物質が検出されたという事実は、発覚後、日本中を震撼させました。しかも日の出町には、汚水侵出疑感問題も解決せぬまま、新たに、第二の広域処分場建設計面が進められていました。地域に暮らす人々に起こった反対意見は、もはや小さな町が抱えた地域問題ではなく、日本中にそして世界中にも大きな普遍的問い掛けを発しているという観点から、映画は1993年1月末より、日の出町に入りました。
93年の真冬、はじめてこの映画のスタッフの一員として日の出町を訪れた頃の私は、山裾の木々に隠れた農家の庭先から、焚き火の煙りが幾筋も夕暮れ空に向かって棚引くのどかな光景をぼんやりと眺めやり、ホッとのんぴり心休まる空気を感じていました。杉並区の住宅密集地に暮らす私にとっては、最終処分場の巨大さとその実態を知ることより、ゴミの日をうっかり忘れて出しそびれたゴミをどこに片付けておこうかという事のほうが、情けないことに身近なモンダイでした。処分場の問題を考える‥‥‥映画がその問題に取り組み始めた一方で、私はといえば相変わらず、撮影でお世話になった田島征三さん宅の庭先にたたずんで、放し飼いにされたチャボたちが毎日決まって夕方五時頃になると、柿の木にバタパタと飛ぴ乗って来ては身を寄せ合って眼る愛らしい姿に呑気に感動していたものでした。
しかしその習性が、森からおりてきた狐や狸に襲われまいとするチャボたちの防衛本能のなごりだと聞くと、生き抜いてゆくための自然界の厳しさに心撃たれ、細い枝に不安定に身を丸めてじっと耐えて眠るその姿が哀しく見え始めました。しかも、この処分場に住みかを追われて、日の出町にはすでにすっかり狐や狸がいなくなってしまったことを知り、私自身もゴミを出す人間の一人として、モノも言えずに人間の愚行に曝された“沈黙の森”の叫びに耳を傾けたいと、真剣に思い始めたのです。
さて、映画は当初、「森からの手紙」という仮題で取材を始めました。
日の出町のお母さんたちを中心とする反対意見にカメラを向け、トウキョウサンショウウオが生息する第二処分場の予定地の森に入り込んでゆきました。
ふと、映画はある現実を写し出していました。森閑と深い緑をたたえてたくさんの生命と水源を育んでいるはずの大切な“森”は、驚いたことに、すでに人間の手によって棄てられかけていたのです。かつては日本有数の卒塔婆の産地としても知られた日の出町の林業は今‥‥新建材の流出によって需要が激減‥‥若者は都会に職を求め、高齢化によって下草を苅る手も減少し、自然の生態系は森のあらゆるところで寸断されているのが現状でした。すでに自然保護という側面から処分場の問題を考えるには、私たち現代人は大きな矛盾をかかえすぎていました。処分場建設の是非を問う以前に、現代社会が選択している生き方は、すでに水源の森をなおざりにしていたのです。
処分場の問題と私たちが成すべき選択をさらに深く問いつめてゆくと、映画の視点は、“現代生活がかかえた問題”ヘと傾かざるを得ませんでした。ゴミの問題を通して見えてくる様々な人間社会の姿は、現代という荒涼とした消費大国の象徴です。そしていま、じわじわと循環を始めている“ゴミ”と“危険な飲み水”の関係を追うことによって、その問題はさらに明確になりました。三多摩地区のゴミ処理行政の現状と行きづまりを取材し、利便さを追求することによって私たちが手にしては廃棄するゴミの中身が見えてきました。
今までは自然を破壊する<加害者の立場>で処分場問題を考えていた私は、この問題が飲み水を通して、いつでも<加害・被害の立場が逆転>しうる、今までの公害問題とはまったく別の問題であることを教わりました。
かつては沢から引き、あるいは苦労して井戸を掘りあてて水を汲み、今より快適ではなかったにしろ数多くの生活技術を持っていた人々の暮らし‥‥‥、糞尿や生ゴミは土に還元し、自然界に存在しない物質による製品のなかった水との循環の生活‥‥‥。生活に利便さを追求する波が押し寄せ、そうした生活技術を捨て、田舎(土地)さえ捨て、プラスチックの使い捨て商品を利用し、蛇口をひねれぱあたりまえのように水が出てくる現代生活の影に、人間が葬ってしまった“本当の豊かさ”とはいったい何なのだろう‥‥‥と映画は考え始めたのです。
谷戸沢処分場からわずが数百メートルの位置にある、玉の内地区の志茂さんというお宅の井戸は数年前から飲めなくなってしまいました。「のめません」と書かれた志茂さんの井戸から検出されている(自然界にはない)物質をみれば、この処分場に埋め立てられているゴミの‘質’とその問題点が明確に問えてきます。また、第二処分場の予定地に近い黒田さんのおじいちやん宅の、今はまだ生きている井戸では、毎朝この井戸水で顔を洗い、お茶を沸かして飲むというおじいちやんの生活が営まれてきました。こうしたあたりまえの生活さえ、私たちの周辺には少なくなっている現実‥‥‥。「水からの速達」とタイトルを変えた映画は、さらに、家族との新しい生き方を求めて都心から日の出町に移り住んだ永戸さん・中西さん一家や、桧原村の山奥に移り住み、水源との共生を実践する荻原さん一家にも出逢ってゆきました。
こうした人々の暮らしと、意見に耳を傾けながら、映画は8カ月間にわたって撮影を行いました。フィルムはそれ自体、特に編集によって切り取り去られて廃棄されるものは大変な有害物質です。そして膨大に放出する映画の宣伝のために作る印刷物のインクには大量の重金属が含まれています。そうした身近に抱えた矛盾とも向き合い、私も自分自身の生活の“質”を問い正さなければと痛感し続けました。繁栄と浪費と飽食の消費社会の果てに、現代人が捨て去っているたくさんのもの‥‥‥それらがやがて、 森を壊し、水を汚し、空を踏みにじって海を濁す現代生活にあって、未来に引き継ぐために私たちが選ばなけれぱならない“生き方”の問題を見つめるのが、この映画の仕事でした。