渡辺 生(しょう)さんの   (本名:坂本 生)


■大正 6年 新潟県にて出生。
■昭和11年 映画に憧れて上京し、
         神奈川県横須賀市の映画館に映写技師見習いとして入所。 
■昭和13年 東京発声映画製作所に、照明助手として入所。  
         記録映画「ミクロの世界」、劇映画「太陽の子」、
         「奥村五百子」、「黄色いカラス 」などに参加。
■昭和15年 応召。 
■昭和19年 帰還後、東宝撮影所照明部に入所するが再応召。
■昭和21年 シベリアより復員後、フリーの照明マンとなり、
         日映新社にて文化科学映画などに参加。
■昭和21年~25年 東映撮影所照明部に所属後、再びフリーに戻る。
         「ひめゆりの塔」(東映)に参加。
■昭和34年 坂本トミ子さんと結婚。本名 坂本 生となる。
■昭和42年~54年 教配スタジオ照明部に所属して以降は、
         一貫してフリーの照明技師として現在に至る。
■昭和60年~多摩芸術学園講師を経て、多摩美術大学芸術学科映像コースで
         映画照明技術の講師をつとめ、平成10年退官。

・近年の劇場用映画の代表作は、
■昭和61年 劇映画「ゴンドラ
■昭和63年 記録映画「私家版・今井正」

・それまでに照明技師をつとめる傍ら、自らで製作した記録映画として、
■昭和42年 「愛と力」16mm記録映画(文部省推薦作品)
■昭和56年 「山襞の叫び」8mm記録映画
■昭和58年 「時は甦る」8mm記録映画
■昭和58年 「鉱山の足跡」8mm記録映画
 などがある

 昭和63年頃、妻・トミ子さんに認知症(痴呆症)の症状が出始め、平成2年~3年末まで自宅での介護生活に入る。この期間に、プライベートな記録としてビデオで撮影されていた。

 平成3年末にトミ子さんが入院して以降、16mmの撮影カメラを購入し、トミ子さんの闘病生活をたったひとりで撮影し始める。その後もコツコツと自身で編集を続けたが、平成5年冬、貞末麻哉子率いる製作委員会の手に撮影フィルムとビデオ映像が預けられ、佐藤 真監督の手による構成・編集により、映画「おてんとうさまがほしい」が誕生する。

■平成 6年秋、映画「おてんとうさまがほしい」完成。
  以後、「おてんとうさまがほしい」の全国での上映・講演活動に奔走するかたわら、日立市・痴呆症老人を抱える家族の会<そよかぜの会>の会長としてその設立と運営に力を尽くし、 
■平成8年 茨城県における福祉などの功労者をたたえる「小平奨励賞」が贈られた。 

■さらにトミ子さんの自宅介護の様子をまとめたドキュメンタリービデオが
  平成11年末に、「風流れるままに~アルツハイマー病の妻と生きる~として完成。

■平成13年5月より、新作記録映画「謎の大祭礼の映像製作委員会を設立。.
  トミ子さんの看病のかたわら、撮影のため、茨城県内にとどまらず全国を奔走。
■平成14年(2002年)4月28日、トミ子さん永眠。
■平成19年12月、新作記録映画「謎と幻想を撮る」完成。
■平成20年1月、「風流れるままに」「おてんとうさまがほしい」DVD販売開始。

■平成27年(2015年)8月18日 日立市にて永眠。98歳。 




2007年4月 「風流れるままに」岡田院長解説追撮の際、ライティング中の生さん


昭和54年 日本映画テレビ技術協会 第12回増谷賞受賞
・第24回 映画の日 実行委員会 永年勤続賞受賞
・昭和55年 第3回  日本映画照明技術協会賞受賞

<所属学会・所属団体>
日本映画照明協会顧問
日本映画テレビ技術協会正会員




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