■ 三作品 < 映画「おてんとうさまがほしい」ビデオ「風流れるままに」副読本「老いて生きる」>
    
 
に出会えて  ~アルツハイマー病と看護~   

島根大学医学部看護学科 老年看護学担当 田中道子   

1.この映画に出会えて

 私は、老年看護学の中で、アルツハイマー病の高齢者に対する看護をどのように教えたらよいのか模索しているときに、「おてんとうさまがほしい」「風流れるままに~アルツハイマー病の妻と生きる~の映画に出会いました。観終わった時、映し出されている真実に衝撃を受け、映像でしか伝えられないものがあることを改めて感じていました。そして、学生にも是非観てほしいと思いました。
 看護士は、病気や病気の人を常に生活の視点から捉えようとします。ですから、アルツハイマー病とともに生きる人を理解したいと思っています(アルツハイマー病の病態を正しく認識することは、言うまでもないことですが)。そうした理解があって、はじめて看護が見えてくるからです。しかし、現場をほとんど知らない初学者の学生が、アルツハイマー病の症状を含めて、その病気とともに生きる人を理解するには、言葉による説明だけでは困難だということがわかっていました。
 この映画は、それらを理解できるだけの内容と伝える力を持っていると思いました。いや、それ以上のものがありました。特に、説明困難なアルツハイマー病の症状(記憶障害や認知障害など)と急速に進行する様子が生活の中でそのまま現れていました(トミ子さんは早期発症型のアルツハイマー病で急速に進行し重度の障害を現すまでに至っておられました)。そして、本人と家族の戸惑い,不安,悲しみ…などを言葉や表情に読み取ることができました。それでも、病気と闘い、明るく仲睦まじく暮らすご夫婦、トミ子さんと生さんが長年培ってきた生き方そのものを見る思いでした。
 しかし、この成熟した大人の生活を、若い学生が果たしてどこまで理解できるのだろうか。むしろ、症状の進行に圧倒されて他のことが見えなくなってしまうのではないだろうか。また、6、7年前とはいえ課題の多い保健・医療・福祉の現状に目を奪われてしまうのではないだろうかということが、私には懸念されました。

2.この映画を看護の授業に取り入れて

 そこで、映画を観せる前に、晩期発症型でゆるやかに進行するアルツハイマー病の高齢者に焦点をあて、導入の講義としました。つまり、アルツハイマー病の高齢者は、記憶障害を自覚していて, それ故に不安が強いこと, フ不安やエンパワーメントに目を向けたケアによって自尊心は回復し、いきいきと生きていけることを理解してもらうことが目的でした。そのために、出雲市にある痴呆のデイケア施設「小山のおうち」の高橋幸男先生と石橋典子先生に講義していただくことにしました。そこでは、集団精神療法を中心にいろいろなケアが実践され、アルツハイマー病の高齢者のエンパワーメントに積極的に働きかけておられます。授業では、平成6年にNHKで放送された「心開いて、笑顔を見せて」のビデオも使って、講義していただいきましたので、学生にはとても理解しやすかったようです。
 この講義の後、学生には映画「おてんとうさまがほしい」の副読本
「老いて生きるを読んでおくようにと言い、その3日後に「おてんとうさまがほしい」と「風流れるままに」を上映しました。学生は映像から予想以上のことを感じ、考え、学んでいました。早期発症型のアルツハイマー病が進行し、どんなに重度の障害が現れても、普通の感情やその人らしい人格はずっと維持されており、コミュニケーションは可能であること、そして、社会人として確かに存在していることを実感として捉えていました。学生のレポートには「何事も“思い”がなければ…」,「身をもって分かった」,「…専門書や新聞などで、いくら知識や情報を得ても、決して立体的には見えてこない…」などの言葉が書かれていました。
 トミ子さんのQ.O.L.を考える生さんの心が、素晴らしいケアの方法を生み出していました。その場面が、生さんの介護の中にたくさん出てきました。重度の障害があっても、トミ子さんが「座れること」にこだわり、特注の車椅子を作った生さんの思いは、第一に食べることにつながるからでした(活動の範囲が広がることはもちろん言うまでもないことですが)。また、トミ子さんが食べ物を手に乗せたままどうしていいか分からないでいるとき、生さんは自分の手を口に持っていき食べる動作をして伝えていました。吸い飲みで飲み込むことができないトミ子さんに、同じように吸い飲みを自分の口に持っていき、飲み込む動作を伝えていました。言葉では伝わらないと分かった時、自分でその動作をして伝えていました。トミ子さんに記憶障害や失認・失行がではじめた頃から、根気強くケアを続けて、自然とたどりついた生さんの見事なケアでした。また、ずっと使っていた化粧品で顔をマッサージしてあげているという話にも、生さんの思いが現れています。
 看護の教育においては、学生の中に知識、技術、態度(心)の側面が統合されることが重要です。その点でも、この映画の果たした役割はとても大きかったように思いました。
 この映画の翌々日に、精神科医による病態論の講義が行われています。3年生の時期でしたし、あえて最後にしました。それぞれの感性と2年間の学びで培ってきた考える力を映画によってお互いに確認し、専門知識はあとづけで良いと考えていたからです。

3.この映画を看護職や介護職の継続教育に取り入れて

 学生の教育の後、日本精神看護技術協会, 島根県支部主催の研修においても、病院や福祉施設の職員の方を対象に上映しました。学生以上に切実に感じるものがあり、すぐに現場での実践に結びついているようで、後日私の方へも相談や報告がきています。このことについては、支部長の八重美枝子さんから、お話していただける機会があるのではないかと思っています。

4.私の課題

 実は、この映画によって、誰よりも学んだのは私自身ではないかとさえ思っています。目指すべきことは何か、そのためにこれから具体的に何をすべきなのかがはっきりと見えたからです。
1)ケアの基本
 安心と自尊心の回復、ひいてはその人が自信を回復するように援助することであるといえます。そのためには、ひとりひとりの生活史を知ることであり、その人の人生と向き合う心構えが必要です。その環境としては、馴染みの生活空間と馴染みの人による継続した関わりが基盤です。在宅ケアが不可能な場合は、グループホームやユニットケアが必要です。施設環境は少しずつ整いつつありますが、一番立ち遅れているのは、何といっても人材の確保であると言えます。
2)ケアの継続性
 病気になって突然、知らない場所で、はじめての人のケアを受けるというのは、適応力が極めて弱いアルツハイマー病の人にとっては、大きなストレスです。従って、健康な時から知っている場所であることが重要になってきます。これは町づくりの問題であり、そのモデルは島根県の吉田村にあると思っています。
3)目指すところ
 それは健康教育です。誰もが不安なく暮らしていけるには、アルツハイマー病になった時にどうすればよいかを皆が知っていることです。それによって、人はどのように援助するのかも分かります。

5.おわりに

 坂本トミ子さんと渡辺生さんには、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちと、現状を少しずつでも改善したい気持ちをお伝えします。
 また、制作スタッフの皆様には、ひとつひとつのフィルムを大切に映画作りをされたプロセスに、看護の真髄と共通するものがあったことをお伝えするとともに、スタッフの皆様のご努力に心より感謝申し上げます。

平成13年8月7日     

島根医科大学看護学科     
老年看護学担当 
 田中道子  



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