渡辺 生さんは、日立梅ヶ丘病院で人と人とのつながりの大切さを学んだと語ってくれた。
病院や老人施設で働く職員の仕事は思った以上に大変である。その割には社会的には評価されれおらず人手不足の状態にある。にもかかわらず「一生懸命にやっている姿に感動した。休む暇もなく飛んで歩いて頑張っている姿に、心の中で痛いくらいに感じた。」と話す渡辺さん。「職員が太陽のように思えてならない」と。懸命に頑張っている職員にもっと太陽の光を当ててほしいと彼は力説する。
この映画を観られた「水戸市ぼけ共助の会」のある男性の会員さんがこんな感想をもらしてくれた。「映画『おてんとうさまがほしい』とつけられたのは、おてんとうさまはすべての人に陽を照らしてくれるはずなのだが、現実には痴呆性老人のように陽の当たらない人もいる。痴呆があっても、人生最後の瞬間まで陽が当たってほしいものだ」と。
太陽はすべての人に分け隔てなく陽を照らす。しかし、現実には痴呆症老人だけでなく寝たきり老人・病人・障害(児)者・在日韓国朝鮮人・部落民・被災者・貧困者・養護児童等、陽のあたらない人たちがいる。
今日の老人たちは二つの大戦をくぐりぬけ、敗戦で終戦を迎えた50年前の日本は、廃墟と貧困の中から日本の経済を再建し、今日の「繁栄」日本を築いた。老人たちは空腹で待っている家族を想い、幸福(食糧や住居)を求め、日夜汗まみれになって働きづくめに働いてきた。その老人たちがいま寝たきりや惚けたからといって粗末に「扱い」、ただ「生かされている」状態に置かれたのでは余りにも切なく辛いものはない。
老人病院や老人施設で介護に携わる職員がおてんとうさまとなって、また地域社会がおてんとうさまとなって、陽の当たらない人たちに“ぬくもり”を与えてほしいと渡辺さんは願い、いまもなお老人介護の現場を撮り続けておられる。
「みんな、にんげんなんです」と話してくれた。その短い言葉に渡辺さんの“人間主義の想い”が溢れ伝わってくる。「痴呆性老人は子供ではない。ひとりの人間である。表には出せないだけで何でも知っておられる」「惚けても、患者同士助け合い支え合って生きている」と彼は言う。誰にも輝ける人生があったということを忘れてはいけない。
トミ子さんにも輝ける人生があり、惚けていても輝ける瞬間があった。アルツハイマー病になった妻も辛いかも知れないが、介護している家族もそれ以上に辛い。それだけに夫婦の絆はきれない。“どっちかが倒れたときはお互いに助け合ってゆくのが夫婦なんだと思います。そのときこそ本当の夫婦じゃないの”。そう映画のなかで語る渡辺さんの優しさと愛。
「おてんとうさまはごしい」とつけられた映画のタイトルを考えるだけでも、様々な想いが頭の中を駆けめぐる。映画観賞後も、心の余韻が残った「おてんとうさまはほしい」。
ひとりでもおおくの方々に、この映画を観られることを願うと同時に、そのような機会をつくっていかなければと思っている。「日本の老人福祉は、これからである」と帰りの電車のなかで語ってくれた渡辺さんの言葉が、いまもなおきこえてくるようだ。
(1998年1月27日、茨城県谷和原公民館で行われた上映会の主催者)
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