1995年の6月、「伝承」という映画の作家である、渡辺祥充という人が、突然、私の前にあらわれました。それが、すでにこの世での生の時を終えていた君との初対面でした。不思議ですが、あのときから今も確かに、私の意識の前にその声さえも知らない君がいることが、ちっとも不自然ではありません。
私が映画を通して君に感じた最初の印象は、少し恐い人でした。
それはちょうど、子どもの頃によく遊んだ、神社の狛犬の記憶に重なったからでした。
鬼ごっこの時、その足下で身をかくまってくれる神社の狛犬は、大きな木の木漏れ陽にちらちらとその顔を照らされながら、いつも頼もしく、耳までさけたその口さえ豪快に笑っているように見えてちっとも恐くなんかなかったのに‥‥‥。やがて夕暮れて風が冷たくなり始めると、その狛犬のまなざしはうって変わったようにきまって厳しいものに変わるのです。これからやってくる深い静けさの中にひっそりたたずむ狛犬の姿を思い浮かべると、息苦しさが体を巡り、まだ少し遊び足りない気持ちをあきらめて、夜の足下から私はとっとと家へと帰ったものです。それは、知らない誰かに「もう暗くなるぞ」と諭されるより数倍の説得力をもって、私を聞きわけのよい子供にさせたものです。
君の残した「伝承」という映画は、こうして最初、忘れかけていた私の、過去の小さな感覚を呼び覚ましてくれました。
フィルムに映し出され、君の手によってきりとられた光の瞬きは、あるときは煌めき、あるときは血液のように流れ、揺らぎ、時に大地を這うようにとどまりながら、私の体のなかを一気に突き通ってゆきました。まるでそれは、私自身には知覚できない<遺伝子の記憶>に語りかけてくるような厳しい映像でした。その力の強さに軽い恐怖を憶えながら、そしてやがて、すっかり泥にまみれてしまった私の感性に、あの狛犬に宿っていた不思議な威力のようなものが、少しづつ働きかけてきました。
私が最初に感じた“恐さ”とは、おそらく、夜の闇に雄々しくも孤立していたあの神社の狛犬に対して抱いた、ある種の<畏敬の念>にとてもよく似ていたようです。幼い私のイメージの世界では、恐いばかりだった夜の中で、微動だにせずに闇をにらむ狛犬の、堂々たる姿が、祥充君、あなたの印象に繋がっていたのです。
理由も、知識も、解釈もいらない世界で遊ぶ<子供>を誰もが通り抜けてきたはずなのに、ある時から、少しずつそこを遠ざかるようになって、私もいつのまにか、闇夜や静けさの味を知り、言葉で理解できる小さな自分の範疇(殻の中)に身をくぐもらせて生きるようになりました。君はなぜ、この映画の中でひとことも語らずに、十年もの歳月をかけてその若い情熱を燃やしたのでしょう……。
その永い時間のことを思っていたら、ふとひとり、映像のなかで無心に遊びたがっている自分を見つけました。全身を風にさらして裸足で走り、空の声に耳を澄ませ、大地に顔をなすりつけ、地面のぬくもりをとき放つように土をすくって空にまきあげ、時を忘れて月夜に眠り、仏像の首筋に照らされた光の中に舞う塵の粒子に見とれ、汚れたからだを冷たい河に沈ませて、私は映画のなかで、まるで幼い頃の自分に戻っていました。そして、横になった釈迦の上に優しくなびく日除けの天蓋や、布に描いた経文を風に詠ませる風習に、人の叡知を感じながら、やがて、昇りつめたあの少年僧が、固く閉ざされた門の先に視る別世界に想いをはせ、すっかり、映画の中で呼吸をしている自分がいたのです。
悔しいけれど、まだその見知らぬ地の空気の肌ざわりすら知らない私が、今までに出くわしたわずかな知識と貧しい想像力で抱いていた、アジアの国々や宗教に対するイメージの壁を突き破って、その世界に身を任せていたのでした。
君が想いを傾けた「伝承」の旅とは、あの扉の向こう側の謎を解き明かす旅だったのではないですか。
その旅のさなかに生きながら、多くの魂たちが残してきた<伝承>に導かれて、君がこの映画に注いだ<力>とは、イメージの殻の中に閉ざしている、ひとの心のむすぼれをほどく力だと私は思います。そしてその力は、永遠の謎の向こうから語りかけ、私たちの中にひそむ、よごれた気持ちを癒す力を兼ね備えているのかも知れませんね。
飽和しかかった情報社会をのがれ、君は地球上から敢えてASIAに出逢い、確固たる信念を持って選ぶと何度も出かけ、身をひそめて空気と戯れ、個性的な君の<視界>を切り開いて、時に領域を切り崩し、そして超え、夜の闇とも手を繋ぎ、幼い私がしそびれたあの狛犬との対話さえも、きっとたやすくどこかで果たしてしまったことでしょう。そして、ついにみずからの遺伝子の記憶にまで遡り、身の内の外側へと、曼陀羅の宇宙を探す旅に至ったのではないか、と私は思っています。
君はオートバイが好きだったそうですね。
私も大好きでした。でも、4年前、急に乗ることが恐いと思うようになり、私は永いこと自分の肉と同じくらい愛したバイクを降りてしまいました。それは無心に遊べる友達と遠く離れたようなもので、今までの人生の中で、6番目ぐらいにさびしい出来事でした。その頃がちょうど、君が亡くなってしまった年だったのですね。
きっと誰もが遺伝子の記憶の片隅で、速く走る事への憧れくらいはわかってくれるのだけど、アクセルを開けながら、孤立感と緊張感に身を切り裂いて、瞬間の、空気や光の連らなりに肉を溶かすと、やがて脳髄をあのエクスタシーがや駆けめぐることは、そう多くの人に誤解なく理解されるもんじゃありません。これは…ほんとうは君の耳元でそっと囁きたかったことだけど…、
私は君の映画のなかに、
とても懐かしい、あの、<光の恍惚>に似た感覚を視たよ。
一度くらい、君の背中を追って走ってみたかったとも思うけれど…、何も語らない映画と、自分の間で、いつのまにか、こうしてこんなにもたくさんの語りかけができるように、もしかしたら、知らない友だちって奴をもつのも、また楽しいことなのかもかもしれないと勝手に思っていたりするのです。君は、もう私が追いつくことなど到底できそうにないスピードで、きっとあちこちを駆けめぐっているんでしょうね。
純粋さに飢えている大人たちがつくりだした最近の風潮のなかで、君のこの仕事を伝える私の仕事は、旅立ちに至った君のプロフィールに焦点をあててしまえば、さほど困難ではないのかも知れません。
でも、夭折の…と騒がれたほとんどの作家の死が、その肩に<純粋印>の刻印を背負わされて語られるように、そして、いったん市場へと送り出されてしまえば、それさえもあっけなくブランド品と化してしまう現実……。そうした乱暴な見送り方ではなく、「伝承」は、作品として、多くの仲間とともにゆっくり時間をかけながら方法を探して、全世界に紹介してゆきたいと思っていますが、どうですか?
君の命日二月八日は、奇しくも私の誕生日でした。だから、私はこれから先、毎年この日をうっかり忘れることは許されないのです。
どうやら永いお付き合いになりそうですね。
いくつもの出来事に感情を掻き乱しながら、煩雑な日常を生きる私の場所は、今はまだ、君とはずうっと遠い所にあるようです。だけどこのずうっと遠くから、、本当に、君に届けることができるような気がして、この手紙を書きました。
返事はいらない…
私が君の<映画>の中から探し出せばいいことですから。
それじゃ、また明日…
1996年2月23日 貞末麻哉子
この「渡辺祥充への手紙」は、1996年2月映画「伝承」をギャルリ・ウィでのロードショウ公開した際に行われたショート・レクチャーで、貞末自身で朗読した原稿をそのまま掲載しました。