光のカラス。
洪水後の空に舞い上がり、世界史の終りの夜を横切る。空ー間を切り裂く牙-くちばしを持ち、単独で<箱船=共同体>の外へ飛び去り、跡をくらます。ノアの一族に「意味」を持ちかえることをしなかった最初の裏切りの鳥? 太陽に近づきすぎて鑞の羽が溶けて墜落する少年イカルスに先行するカラス。
あのぬばたまの黒い翼は、真夜中の太陽の色。風のスダマが密集する羽毛のせいで、わたしたちには黒くしか見えない。それはけっして罪の色彩ではない。
カラスは夜をつくる。
闇のカラス。
つがいの共同体を越えて、虚空の絶対性に向ってはばたく夜の鳥。
<言葉>の外にひろがる光の砂漠に跡を絶った死の鳥。(ヘブライ語で「箱舟」は同時に「言葉」も意味する)。円球を突つき、ヒカリモノをはこぶ<ブラック・エンジェル>のように、地上の義務と任務を超えて、光の<鴉=片>をはこぶこと。鴉の片羽として、神の密使をはたすこと。
それが夜をつくる音楽である。
あるいは自由の鳥の名前。
詩人アンリ・ミショーなら、すかさず<エラン=ヴィタールの鳥>と称ぶことだろう。
ミショーによれば、音楽は「肉体をもぎとり、具体的なものを抽象」する。
地球にもう一度、あの<洪水>を!
壁も柵も檻も、夢も物もイデアも、なにもかも「もぎとり」、夜のなかに覆い尽くすこと。音楽をおいて他にそれを果すことはできない。
そして、ふたたび<言葉>の外へ。
空間の鳥に<生の跳躍>を!
こんどは<太陽>から<月>に、さらに<月>から<稲妻>に向って飛翔する。ウパニシャッドで云うところの「転生」とは、音のこうしたモレキュラーな舞踏のことである。
音楽はメタモルフォーゼする。
「闇から闇へ走る稲妻」(アンリ・ベルグソンの言葉)のように、
炸裂する生-火花。
音楽は空間の火花である。
それは種子-スペルマのように飛び散り、爪先旋回して開花し、またたくまに分解して崩壊する<銀河>である。
それゆえ音楽家は「カガミの凧」虚空に飛ばし、<光-音-生>の放電現象をいっぺんにリフレクションしようと欲する。
こうして音楽家は、天に釣針を垂れて<稲妻>を釣り上げる漁師である。
身体は、そのとき、うなりとうねりをあげて振動するエレクトリックな<導体>に転位している。
音楽家は<伝導>であり、音楽は<伝導の伝導>である。
そこに、<風>が吹き渡る。
サンスクリットでは、「風」は「糸」[=スートラsutra]と称ばれ、経典を織りなすテクスチュアーと同義である。
風=糸が世界の始まりと終りをつなぎ合わせ、神々の世界と月下界をむすび、被造物の生のほつれ糸をかがむ。
音楽は、こうして「結合線・連結線」を意味する<ligature>という、たえまなく変位し脈動する<超=ヒモ>となる。
世界じゅうのあらゆる場所に、連結と結合の<結び目>をトランス・ミッションすること。「伝承」から「伝導」へ!
音楽は風の果実である。
Tokyo le 25 juillet 96