映画「梅香里(メヒャンニ)」沖縄上映に寄せて
沖縄上映会挨拶〜

 駐韓米軍犯罪根絶運動本部 平和教育委員会委員長鄭 柚鎮

 皆様こんにちは。
 本日は、このような素晴らしい映画上映会に呼んでいただき大変光栄に思っております。心より感謝申し上げます。映画の最後に協力していただいた、たくさんの方々のお名前がでてきますが、実際にはその十倍、百倍の方々が、一つ一つの場面を撮影するために関わっていらしたのだと思います。素晴らしい映画が出来上がりそのお一人おひとりの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
 一種の職業病かも知れませんが、私は梅香里や基地の村、米軍犯罪を扱った映画を観るたびに、まともに観ている事ができなくなります。映画で描かれている人物の痛みを、まるで自分が経験しているような気持ちになり、頭が重くなり胸が締め付けられるのです。 基地の村のことを考えるとき、私はまず最初に、米兵の父に捨てられ、韓国人にもアメリカ人にも皆から差別を受けている混血児たちの悲しい目を思い浮かべます。そしてまた苦痛のなかで生きるのに疲れた売春女性たちを思い出すのです。
 1969年、梅香里の海辺でカキを採っていた臨月の女性が、米軍爆撃機の誤爆により即死するという事件がありました。この事件では妊婦の夫を米軍基地の警備員として雇うことで決着がつきました。しかしその夫は自責の念に駆られアルコール中毒になって悲惨な生活を送った末に亡くなりました。
 私は梅香里を思い出すたび、生まれる事も出来ず、お母さんのお腹の中で失われた幼い生命とその家族の苦しみを思うのです。
 私たちは日常生活で、特別に不幸なことが起きさえしなければ平和なのだと錯覚してしまう事があります。沖縄のある平和運動家が私に言いました。本当の意味の平和とは、1995年米軍兵士にレイプされた少女が心の傷を癒し、また明るく以前と同じように町を歩けるようになることだと。
 米軍犯罪は小さな記事で新聞に出たりテレビニュースで何度か報道されるだけで世間から忘れられてしまうのかもしれません。しかし事件の被害者やその家族にとっては一生忘れられない出来事なのです。人々が被害者の側に立って理解しサポートしてゆくことは可能ですが、被害者が事件の記憶自体をなくすことはできません。苦しみや悲しみは消え去るものではありません。犯罪の発生あるいは環境の破壊は一時的なものですが、被害者は一生傷を抱えて暮らしていかなければならないのです。私はそこに暴力のない環境をつくらなければならない理由があると思うのです。
 先日、北谷町でまたもや米軍兵士によるレイプ事件がありました。再び日米地位協定の改定を求める動きが見られます。米軍犯罪や環境汚染は今現在も進行中です。にもかかわらず私たちはなぜ犠牲者が出て、大きな代償が払われたときだけ改定を声高に叫ぶのでしょうか。私は被害者の心の傷を癒すのかという事と共に、なぜ私たちはその時だけこの問題を取り上げるのかを考えるべきだと思います。暴力を予防するためには生命を尊重する意識と苦しみや痛みに対する感受性を育てることが大切だと思うのです。このことは人間と自然との共存につながるでしょう。新しい基地の建設によって辺野古の海を破壊してしまうこと、また生命が循環し浄化される干潟、ここ佐敷町新里の干潟を破壊することが、どんなに大きな過ちであるかに気づくべきです。海の宝である珊瑚が死んでゆく海は病んでおり、その海ではジュゴンは生きられません。ジュゴンが生きられない環境であれば、結局は人間も生きられない環境なのではないでしょうか。生命への畏敬の念である「命どう宝」という沖縄の心をどのように守り伝えてゆくのか、それは重要な課題だと思います。
 人はおたがいに知り合い理解しようと努力する姿勢があるからこそ、おたがいにいたわり尊敬しあうことができるようになります。自然との関係も同様です。このような努力を怠るなら私たちの実践は意味がなくなります。生命に対する畏敬の念を持たない信念や行動は独善や傲慢に陥り、時には暴力につながることもあるでしょう。梅香里や沖縄、ビエケス島の叫びを聞くことが出来ず、痛みを共に感じることができなければ、基地撤去あるいは安保に対するスローガンは無意味なものに終わるでしょう。

 韓国のある詩人は破壊と暴力が蔓延する今日、もっとも求められているのは人間誰もが持っている心、詩的な感性であると言っています。私たちが心をうつ詩や音楽に出会ったときに感じる幸福感や安らぎが詩的な感性だといえるでしょう。環境と人権、文化運動として平和のモデルを見せてくれる『満月まつり』も同じ意味だと考えています。私は人間と自然、生命の調和が崩れてゆく悲しみを感じることの出来る感性が「苦痛の感受性」だと思います。
 人間の感受性を育てることが世の中に変化を起こすのかと疑問に思われるかも知れません。私は米軍犯罪による被害者の痛みを自分のものとして感じることのない無関心、自然の美しさを次代に引き継ごうと思わない無感性が軍隊に頼る安保、基地の経済振興としての利用にみられるイデオロギーを拡散させていると思います。人間の感受性が豊かになれば変革が起きるのかと首をかしげる方もいらっしゃるでしょうが、重要なことは自分自身が世の中の現実に意識をもって、こうすべきだという強い意識に目覚めることだと思います。
 今日のこの場が、生命と平和、幸福に対する感受性と希望を育むひとつのきっかけとなりますよう祈っています。どうもありがとうございました。

鄭 柚鎮




  

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