沖縄 高江洲あやの
映画「梅香里」は、長い孤立無援の中で、人権、生存権を訴え闘ってきた漁師全晩奎(チョン・マンギュ)さんを中心に、肉親や隣人の無念の死と深い悲しみを乗り越え、米国と韓国の二重の差別から立ち上がり、平和な村と豊かな自然環境を取り戻すために闘い続けている人々の様子や、現在の梅香里の状況をわかりやすく訴えているドキュメンタリーです。
とうぜん悲惨な状況、苦しい闘い、激しい闘争場面などが、記録されているわけですが、それだけに終始することなく、自然の恩恵で生かされている人々の喜びの表情、この村でのあたりまえの生活を映すことで、さらに味わい深い作品となっています。
あわせて、「基地村」で働かざるを得ない女性たちの生の声と共に、長期にわたる米軍駐留により、米軍犯罪に苦しめられてきた女性たちの支援活動に立ち上がった、鄭柚鎮(チョン・ユジン)さん、金同心(キム・ドンシン)さんたちの女性の活動を通して、差別を受けている人々の苦痛を訴えています。
平和が脅かされるとき、常に弱者が犠牲にされる現実を直視し、どのような社会をめざし、今何がなされるべきかを観る側に問いかけているような気がします。
さらに、映画の中で印象的なシーンを深く心に刻み込ませたのが、NHKスペシャル「家族の肖像」のテーマ曲の作曲で有名なウォン・ウィンツァンさんの音楽でした。
ウォン氏は、地雷の脅威にさらされている国の一つ、ボスニア・ヘルツェゴビナに住む当時13歳だった少女の詩に深い感銘を受け作曲した「もしも地雷がなかったら」をリリースし、日本赤十字社を通じてCDからの純益を全額、地雷犠牲者救援のために役立てるなど、素晴らしい活動をなさっている音楽家です。
全国上映会に先立ち沖縄からスタートを切りたいとの思いを受けて、7月13日那覇市から東の方に位置する佐敷町のシュガーホールで、『映画&ウォン・ウィンツァンピアノソロコンサート』を開催するにあたり、映画の中でも心揺さぶるメッセージを発してくれたチョン・ユジンさんが、忙しいさなか韓国から駆けつけてくれました。
沖縄の平和運動を学びたいと留学してきた彼女が、佐敷町にある我が家にホームスティしていた半年間、今では宝物のような日々だったと、再会するたびに言い合っています。
国や、歴史や、教育が違っていても理解し、信頼し会える人間同士が、なにゆえ戦う必要があるのか。戦争があるゆえに、軍事基地があるゆえに、住民の苦しみの絶えないことを痛感させられるたびに、一人でも多くの人に、命の問題、平和の問題、環境の問題に、強く関心を持ってもらいたいと切に思います。この映画と音楽は、大切な何かを確実に広く伝えていく不思議な力に満ちています。さまざまな所でシンクロしながら、今この国の進行方向を変えていく可能性を秘めていると感じるのは私だけでしょうか?
2001.7.13 沖縄上映の会場にて
西山監督と高江洲あやのさん
2001.7.13 沖縄上映の会場にて
挨拶する韓国からのゲスト・鄭
柚鎮さん(右)
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沖縄上映を終えて
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西山正啓
ドキュメンタリー映画「梅香里(メヒャンニ)」の全国上映はゆふいん文化・記録映画祭でオープニング上映した後、ぜひ沖縄からスタートしたいと思っていた。そして、その思いがかなった。
7月13日沖縄県佐敷町シュガーホールで初公開、同20日の浦添市社会福祉センターではキャンプキンザーをメッセージ入りのハンカチや赤いリボンで包囲行動した後に上映、その後も名護市とつづいていく予定だ。
沖縄の人たちは今、名護市辺野古沖に普天間基地返還の条件として移設を押し付けられたヘリポート基地建設問題で苦しんでいる。辺野古沖はジュゴンの生息地としても知られている。辺野古のおじい、おばあたちはこの海とともに暮らしてきた人たちだ。みんな海人(うみんちゅう)なのだ。その人たちが基地のある日常と引き換えに与えられた土建工事依存の経済生活を、特に復帰後は強いられてきた。日本政府は沖縄に対してすぐ経済振興策を口にする。経済振興策を受け入れるしか選択肢がない状態に追い込んで決断を迫るのだから、あまりにも卑怯なやりかただ。人間の尊厳を著しく傷つけている。名護市民は1997年12月21日の住民投票ではっきり拒否したというのに。
シュガーホールの上映会には辺野古からおじい、おばあたちが10人も来てくれた。映画を観ることなど数十年ぶりのことだろう。梅香里の干潟でオモニたちが牡蠣を打ち、アサリを採るシーンになると、おばあたちのいる席が一斉にざわめき始めた。海と共生するひとたちへの共感であることは明らかだった。
“隣の韓国の人たちも頑張ってるんだからよう、わったーもがんばろうね〜”
映画を観てくれておまけにこんな言葉で励ましてくれるおばあたちに感謝の念がこみあげてきた。
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