■ 映画「伝承-Transmission」の遥かなる旅
十余年もの歳月をかけてアジアの地に繰り返し足を運び、自らの心の震えと精神を刻むように映画の制作に心血を注いだ渡辺祥充は、1992年2月、フィルムの編集作業を終えると32歳の若さで急逝した。
その後、故・江尻京子氏(デラ・コーポレーション)をはじめ、友人等の尽力を得て仕上げ作業が行われ、1992年末にこの映画「伝承」は完成した。
しかし1993年度の山形国際ドキュメンタリー映画祭でたった一度招待上映されて以来しばらくの間、ご家族のもとに保管されていたこの作品が多くの人々の前に一般公開されることはなかった。
オートバイをこよなく愛し、スピードに焦がれ、仲間の死と出遭い、社会との関係に深く傷ついた若き日々を経て、この映画の制作にその青春と生命のすべてを賭ける結果となった渡辺祥充は、アジアの地で何を見つけ、何と向き合い、映画監督として何を世界に<TRANSMIT>しようとしたのか‥‥。
さまざまな映画関係者の手を経てこの「伝承」が私の手に届いたのは、1995年6月のことだった。別の映画の上映のため地方に出張していた私を、実弟・政充氏と音楽・山中氏がわざわざ上映会場まで訪ねてくれたのである。
そして数日後、再度打ち合わせのため私の仕事場に出向いてくれた二人と朝まで語り明かしたその日の未明に、事実上この作品の完成に尽力された江尻京子氏が他界された。すでに渡されたバトンを投げ出すわけにはゆかなくなった。
当初、この作品と出会えた衝撃とさまざまな偶然は私に大きな逡巡をもたらしたが、上映のコンセプト自体はわけなく閃いた。月一回でも週一回でもいい、どこか一カ所、ホームベースを探して、長期間(できることなら10年スタンスで)定期上映を続けながら、広くこの映画を伝えていきたいと思った。
あらゆるコミュニケーションが総じて乱暴に錯綜するこの日本を離れ、あえてアジアの奥地にその心を傾けた作家の語らぬ意思を継いで、この「伝承」の上映はじっくりと、そして時間をかけて、手から手へ伝達・発信する手段を選択、模索するべきと思った。
少なくとも、彼が作家として制作に十年をかけたなら、私も十年を賭ける覚悟がなければ上映を引き受けられないと思った。
そして、1996年2月、約3年間の封印を解くと、映画「伝承-Transmission」は、三鷹市井の頭にあった詩人・河村 悟氏が主宰する現代アートのギャラリー“ギャルリ・ウィ”にて異色のロードショウ公開を果たした。
それから早9年を迎えようとしている。
その後、1996年4月から4年に渡って継続した、西荻窪:ほびっと村での第一次定期上映。2000年からは、高円寺:きのこ、表参道:青山道場での月例上映会をホームベースに得て「伝承」は静かに国内を旅をしてきた。そして、2003年には、渋谷のアップリンクファクトリーでさらなる上映会の展開に未来を得た。
あるときは思いがけない人と人を結びつけ、様々な出逢いと関係を構築し、またあるときは欲にからんだ汚れた関係を拒みながら「伝承」は人々に愛されてきた。
数ではなく、確実に誠実な鑑賞者を得てきたように思う。
今後もまた、マスコミを安易に利用する手段にどっぷり頼らずに、今この国で「伝承」と共に、なにか“ものをつくるこころ”のようなものを伝えることができるのだろうか。
「ここには本物しかない‥‥‥」アジアの地をはじめて踏みしめたとき、渡辺祥充は静かにそうつぶやいたそうだ。
2003年7月
以下、2006年1月 追記
そして、2004年2月8日(日)に、アップリンク・ファクトリーにて特別追悼上映会が開かれた。
この日が監督の命日(13回忌)であった。
不思議なことに、これ以降、「伝承」の上映の企画はひとつとして持ち上がらなかった。また、2005年の春にはDVDを出さないか・・・というオファもいただいていながら、その話しも静かに凍結した。
折から、フィルムというメディアがすでに影を潜める時代の流れに、まるで亡き監督が草葉の陰から抵抗しているかのような力を私は感じた。
そして、いよいよ自分の役目を終えたと判断し、2005年末、私はフィルムを渡辺監督のご家族にお返しした。
数多くのシンクロニシティ・・・偶然とは思えない運命的な出会いと訣別・・・ずっと思っていたことだが、映画「伝承」の旅にはいつも亡き作家の精神が同行していたのだと思う。
<おまけの記>
2000年の春、カシミール地方で開催されるはずだった日本映画祭で「伝承」が上映される予定だったが、そのときは出発の1ヶ月前になってインドパキスタン紛争の激化により、映画祭そのものが実現できなかったのだが、そのあと、いよいよ念願のインドに作品が上陸できることになりそうだ‥‥‥と思った予定が、また突然流れた。
それは、2003年12月25日出航のピースボートに乗船し、インドのムンバイまで行く予定だったが、出航2週間前になって、お断りする事態に陥った。
出航3週間まえに突然飛び込んできて決まった話しだったことも手伝って不安だったのが的中‥‥1ヶ月もの間、気持ちよく船上にてその組織体制を信頼して共生する自信がプツンと音をたてて切れたためなのだが、これで「伝承」のインド上映は2度も阻まれたことになる。これらのことにも、なにかきっと深い運命的な意味が潜んでいるのだろうと思っている。