坂田さんは陽気です。いつもトンチのきいたことを言っては皆を笑わせ、自分もよく笑います。小さな可愛い国男君を抱いた大きな坂田さんは、本当に頼もしいお母さんという感じです。
焼鳥屋さんのお父さんも大変な子ぼんのう。国男君も時々お店へ出るそうです。忙しくてなかなか書けないお母さんを見かねて、二番目のお兄さんの尚文君も応援して書いてくれました。ありがとう、尚文君。

わが家は親子五人、いつも笑いの絶えない家である。
長男は中学三年生。主人よりはるかに大きく、子どもというより、たくましい一人の男性を感じさせることがある。次男は主人を小さくしたようなお茶目な小学生である。
二人とも男の子なので、もうひとりは、きれいな色の洋服を着せられる女の子をと思っていたが、三人目も男児誕生。いささか期待に反したが、生まれてみればかわいさに変わりはなく、いっそう胸の熱さを感じた。母親とはふしぎなものである。
しかし、その三男に、ふつうの赤ちゃんと違って、たいへんな異常があった。医師の診断では「ピエールロバン」。今まで耳にしたこともない病名であった。
現在、小学三年生の八歳であるが、体重はわずか九キロ。普通児の生後十ヶ月ぐらいで、私の片手に軽く抱かれるほどである。今まで、何度か熱を出し、そのたびにもうだめかとはらはらさせられたが、芯の強い生命力で、病と戦ってくれている。
そんなクニオであるが、元気がいい時は、仲良し二人のお兄ちゃんが、よくバギーに乗せて連れ出して行く。少年野球にも連れて行く。試合の合間をみては、牛乳やジュースなどを上手に飲ませてやるお兄ちゃんたちである。
“わが家の三番手”クニオも、お兄ちゃんの球の行方をじっと見て、それがホームランだったりすると、全身バギーから乗り出して、喜ぶという。そして、すっかり日焼けして帰ってくる。
そんな時、母親の私に、お兄ちゃんたちの試合の様子を懸命に訴えようとするクニオを見ると、三人兄弟の中で感受性が一番すぐれているのではないかお思うのである。たとえ、不幸な病気におかされていても、なにも特別な子どもではないと考える。
こんなクニオと大の仲良しのお兄ちゃんたちも、いつか成長してわが家かた飛び立っていく日がくると思うと、今からさびしさでいっぱいになる。
ぼくと国男 北方小学校 五年一組 坂田尚文
ぼくの弟はとてもかわいいです。でも、体が不自由なので歩いたりなにかを言ったりすることが出来ません。でもぼくの顔を見るとニコニコしてとてもかわいいです。
国男が入院したとき、子どもは入ってはいけませんと言われた時、ぼくはとてもいやでした。だからクリスマスの時も看護婦さんにプレゼントをわたしてもらいました。自分でわたしたかったけれどしょうがないと思いました。
ぼくは、たまに弟をバギーに乗せて散歩に連れて行ってあげます。するとその日は、きげんがよく泣いたりしません。でも行かない日は、グズッたりしますがいつもニコニコしています。
ぼくは、弟のことをはやく大きくなり、じょうぶな体で元気になってほしいです。
●昭和57年に発行された「わが子」より(部分)